頑張るための不順な動機

  3次救急の最初の病院から転院した2次救急の病院ですが、ここで快適だったのは部屋にユニットバスが付いていたことです。リハビリ病院とは違い、ADLの評価なしに勝手に風呂に入れたことです。ただ、立ってシャワーとか無理だったので、夜にシャワー用の椅子を借りて、バスタブに入れて座りながらシャワーを浴びていました。


  こんな入浴の仕方はリハビリ病院ではできないことだというのは後で知ることになりました。


  この病院は新宿歌舞伎町のど真ん中にあります。健常なら入浴可能な特別な風呂屋もあります。そして飲食店も多いわけです。そんな街にある病院で、昼頃に1階の売店に行くと近隣のお店が納めているガッツリ系のお弁当が売っています。これは美味しそうです。もちろん制限が掛かっているので食べられません。


  発症から10日以上も経つと、ぼちぼちそんなものが食べたくなったりします。この頃、私の心と空腹の支えはタブレットで見る「深夜食堂」と「孤独のグルメ」でした。とにかくお腹が空くのです。それからちょっとだけタバコが恋しい時もありました。刺激物に飢えていたのです。デイルームの自販機に売っているアイスコーヒーが唯一の刺激物でした。


  そもそも私の脳梗塞の主な原因の一つは「喫煙」です。それとコレステロールです。もう生活習慣病のパンフレットに書いてある通りの見本みたいな結末を迎えた訳です。考えてみれば小学生でもわかるパズルみたいなもんです。なんのひねりも無いストーリーです。欲望に忠実に生き過ぎました。


  私がこの「欲」に抗う事ができるのは恐怖心の方が大きいからです。私は脳梗塞を発症してから、右半身の機能が徐々に落ちていく間、一度も意識を失う事なくすべてリアルタイムで展開を見る事になりました。「気付いたらベッドの上」などではありません。あの恐怖を考えると二度と経験したくないと強く思うのです。


  欲は欲でも物欲が私の入院生活とリハビリ生活を支えた事実はあります。マニュアル車に乗っている私は安全面からオートマに買い替える方向になりました。毎日車の雑誌を熟読です。病気になって以来、「またの機会」なんて無いものと強く思うようになりました。だからこの機会に思いきり派手な車に乗ってやろうと思ったのです。その為にも私は回復し運転ができるようにならなければならなかったのです。こんな俗な、じつに低レベルな志を胸に回復期病院への転院を迎えるのです。

魔法の杖

  私はこの夏、家族を連れて関西方面に旅行をする予定でした。飛行機も超早割りでチケットを購入し、レンタカーもホテルもガッツリ押さえておりました。もちろん全部キャンセルです。


  7月27日に家内が回復期リハビリ病院の見学に行きました。この時になってようやく気付いた事の一つ、「自分は介護される人」であるということ。入院する本人ではなく、サポートをする家族や関係者が、いかに交通のアクセスが良いとか、面会時間と仕事の兼ね合いとか融通がききやすいとか、そういった事を加味して病院を選ぶという。自分のことではあるのですが、自分に主導権が無い。私はこの事が嫌だと言っているのではなく、非常に興味深かったのです。


  次の週の8月3日に転院が決まりました。それまではこの病院でリハビリです。見舞いに来てくれた両親から、何か必要か?と言われTevaのサンダルをお願いしました。このタイプの方が履きやすいだろうと考えたからです。しかし甘かった。麻痺した足でサンダルやスリッパを履くという行為は結構難しいのです。スリッパなんて本当にハードルが高い。


 人間はサンダルとか靴を履くときに、足の指先を曲げ伸ばしし巧みに操って履いているということに気付きます。麻痺した右足はスリッパをどんどん前に蹴ってしまいます。トイレのスリッパは最たるもので、トイレに行きたいタイミングは健常な頃の感覚のままです。左足のスリッパはすっと履けるのですが、右で大苦戦。で、もういいやとなって片方は裸足のまま用を足すという格好の悪い状態。漏らすより良いけど。


 リハビリの時間、人生で初めて「杖」という物を使って歩きました。高校生の頃、体育の授業で捻挫をして暫く松葉杖を使っていたことはありましたが、お年寄りとかが持っているTの字の杖は初めてです。こんな細いもの1本でも随分楽だなぁと思いました。ただ、まだ杖を使ってみるだけの段階で、杖を使ったところでひっくり返りそうになるような状態でした。


 「杖は買った方が良いのでしょうか?」とPTに聞くと、
 「あると便利ですけど、わびすけさんの場合はいらなくなる可能性があります。」
と仰りました。まぁそれもそうだな、杖を欲しがってはいけないな。そんなものに頼る前提でリハビリをしてはいけない。などと小さい決意をしました。


 しかしこの時、その思いと同時に強めの物欲が出現しました。どうせこんな経験をするのだったら、何か面白そうなことをしてやろう。そうだ内田裕也の持ってそうな杖なんか良いんじゃないか。などと。。早速楽天で検索です。ありましたありましたドクロの杖。翌日担当のOTに写真を見せると「何考えてるんですか。」と笑っておられました。私はただ、どこかの大人しそうなご老人が間違って私のドクロの杖を持って行って「お父さん!」とかお嫁さんに叫ばれてドン引きするシチュエーションを見たいと感じていたのです。


 結局私のドクロ杖計画は頓挫したままです。


 なんだかここまで書いておいてなんですが、私は性格的に悲観的になれないのと、過去よりも未来にしか興味がないのです。だから性能の良かった頃の自分は比較対象にならないのです。発症して5%の人が天に召される病気で生き残ったのですから。これは生きなくてはいけないということなのです。生きるのは忙しい。

マシンセッティング

 昨日私と同じ歳の義理の弟(家内の妹の旦那)が脳梗塞になったと連絡があり大変驚いているわけです。 


 さて、急性期でのリハビリは土日を除く平日に3時間(9単位)行います。


 7月25日の時点では、歩行などというハイレベルな事は出来ません。つたい歩きは何とか出来る感じでした。


 私の場合は「ケツに乗っかってる」と表現しPTにインプレッションを伝えましたが、腹を突き出し、背中をそらして歩く所謂「オラオラ歩き」が発症前の基本だったようで、ゆえに「ケツに乗る」という感じがしていたようです。
「その表現、わかりやすいですね。そして間違ってないと思いますよ。」
とPTが仰りました。
 リハ室のベッドに「楽な姿勢で腰かけて」と言われ座ったところ、非常に姿勢が悪いようでした。
「この際ですから座り方も治しましょう。」と言われました。
リハビリを経験した方はわかると思うのですが、「歩く」という動作は「座る」と言うことを起点としており、「座り」が悪いと「歩き」は良くならないのだとか。


 リハビリを進めていく中で、自分の感覚、自分が今感じている事をどう表現してセラピストに伝えるかというのが結構大事だったりすることが分かりました。


 かつて私は趣味でレース用の車を所有し、サーキットを走っておりました。サーキットではメカニックに「どこそこのコーナーでブレーキしながら入ると簡単にオーバーステアが出る」とか伝えクルマを調整してもらう「セッティング」というものを行います。リハビリはこのセッティングという行為に非常に似ています。というか私には似ていると感じていました。


 足の裏のどのあたりに体重がかかっているとかは、頭の中で圧力の分布図みたいなのが浮かんできていました。骨盤が脚のどの辺りを超えていくとか、そういうインプレッションをしていました。


 レースではメカニックがタイヤの減り具合などを見て、ドライバーの言っている事とやっている事の違いを見たりするそうです。最も優れていたと今も言われているのが伝説のF-1ドライバーアイルトン・セナだそうです。あの極限のスピードの中で読んできたメーターの回転数とコンピューターが記録した数値がほとんど一致しており正に正確無比だったとか。


 逆に名前は書きませんが、酷いドライバーは、メカニックに対しての車の評価が「グッド」と「シット」しか無かったと聞きます。


 リハビリが始まり、その共通点に気付いた私に目覚めた感覚は、「良いドライバーになろう」です。私は私という身体に乗り操るドライバーで、PTはそのメカニックであると認識していました。だから、「良い感じっすよ」とか「だるいです」じゃなくて、何がどうだから良いのか、だるいのか、というインフォメーションをPTに送り感覚を共有するのが大事ではないかと考えていましたし、今も間違いではなかったと思っています。


 そう考えると、リハビリはセラピストに「やってもらう物」では無いと気付きます。ハンドルを握っているのはあくまで自分自身です。サーキットをどう走っているかは自分ではライブで見られません。それを客観的、俯瞰的に見て評価し手直ししてくれるのがセラピストなのです。と勝手に解釈しました。 


 この2番目に入院していた病院のPTが、私の「乗り物に乗っているような感覚」を理解してくれたのと、感覚が優れていると言ってくれていたので、私は終始勘違いしながらリハビリが出来ていたのだと思っています。「褒めて伸びる子」と昔から言われてましたし。