回復期病院

年が明けました。正月を家で迎えられるというのはありがたい事です。脳梗塞を発症した時には想像できない遠い未来でした。因みに昨年の正月初詣の時に引いたおみくじは人生初の「凶」でした。その通り。


 同じ歳の義理の弟が入院している病院に見舞いに行きました。素人目から見ると普通に歩いており、まさに普通に見えます。脳梗塞の症状が軽かったというより、場所なんでしょうね。但し手は痺れが酷く、上手く動かせないのだそうです。それでも周りは軽くて良かったとか、運が良いとか言うのですが、本人にとっては大問題なのです。これはなった人でないとわからない。


 さて、私は8月3日に転院をしました。自宅から近いリハビリ病院です。最初に主治医となる院長先生からの説明、PT、OT、STからの説明がありました。その説明の際にリハビリの目的として「社会復帰を目指す」という文言がありました。私はその時初めて、自分は今、社会の外側にいるという事を突き付けられた気がしました。


 社会復帰、社会にいないとはどういう事だろう?と思うと、要するに仕事をしていない、収入を得ていない、即ち納税をしていないということなんだと。確かに私は経済活動をしておらず、社会からすると「非生産部門」の人間なのです。私は入院中にたびたびこの事実を感じるのでした。


 カンファレスの際に、家内が入院期間について尋ねました。「3カ月~5カ月」とざっくりと言われました。家内はそのスパンに驚いていましたが、私は前のように過ごせるような身体になるのなら何カ月かかってもしかたないと考えていました。


 その日はリハビリもなく、部屋の説明やら採血やら一通りの事を行いました。食事は広いデイルームで入院患者みんなで食べます。前の病院では「リハビリ病院だと、わびすけさんと同じくらいの年齢の方も結構いると思いますよ。」と言われていました。ぜんぜんいません。老人ばかりです。それでも私と同じテーブルにはKさんという若い方がいらっしゃいました。聞くとすでに3カ月も入院されているとか。私はトータルで2週間ちょっとだったので想像ができない長さです。


 食後に部屋のトイレに入る時に、車いすがあちこちひっかかってやりにくいと思いをしました。看護師に扉の前までは車いすに乗るが、中は車いすなしで入る許可が欲しいと頼みました。PTに許可をもらい車いすは勘弁してもらいました。まだ片足立ちでしたけど。


 夜9時に消灯です。私はここでも個室に入れたので消灯後も小さな読書灯だけつけて、自分のタイミングで寝起きをしました。それでもベッドに入ると9時半くらいまでの記憶しかなく、あっという間に眠ってしまいます。そして何故か1時か2時に目が覚めます。入院前に3時位に寝て6時に起きるみたいな生活だったので、その時間が前にずれただけなのですが。夜中から朝までは退屈です。タバコも吸えるでもなし、夜食を食べるでもなし、本当にやることがなくBSのよくわからない番組とかを眺めておりました。


 ようやく朝になりました。昨日はぱっちりメイクだった夜勤の看護師さんがスッピンにメガネという地味な感じで検温と血圧を測りにやって来ました。リハビリの始まりです。