今ある戦力で

  最初の病院でのリハビリは2日間だけでした。その病院は3次救急の1000床以上の医療センターでした。2回目のリハビリは病棟の廊下でした。7月22日の土曜日。廊下の手すりを使っての歩行です。何と表現したら伝わるかと思いますが、私には新しいスポーツを始めたといった感覚の方が大きく、以前を思い出すとかそんな感じではありませんでした。


 午後に家内と2人の娘が病院に来ました。デイルームでお茶など飲みながら、今私の身体がどんな感じなのかを説明しました。まるで他人の説明をしているかのように淡々と説明をしてしまい「不思議だろ?すごいなカラダって」と私が言うと娘たちも頷いておりました。
「そうだ、今なら腕相撲で前たちが勝てるぞ。」と言って勝負したところ、麻痺している私の右腕はまるで負ける気配がなく、娘2人がかりでもビクともしません。私にはどの程度力が出ているのかがほとんどわからない状態でしたが、私の身体はなんだか丈夫でした。


 夕方、担当医から病状の説明がありました。内容はもう初日からたいしてかわらずです。いつものごとく家内が「戻るのでしょうか?」と聞くと「いやあ、これは本当にわからないんですよ」と言われました。私はもうショックもありませんでした。


 私は、家内や娘たちに話ました。
「要するに、戻るかもしれない。ただどの程度かはわからない。でも失った機能をぶつくさ言ったところでしょうがない」。しかし機能は失ったが、腕や足が飛んで無くなった訳ではない。今使える戦力でどう生きていくかだけだ。そしてあわよくば回復させる。回復が今日止まっちゃうかもしれないが、それはわからんってことだ。」
そんな私の解釈いみんな納得していました。それからは「戻りますか?」という質問はなくなりました。


 その頃になると、私は風呂に入ってないので何とかしたいと思っておりました。入浴はだめです。シャンプー台が借りられるとのことで久々の洗髪です。「あ。。」右手が上手く使えないのでまぁ不便不便。トラベルパックの小さなシャンプーのキャップは転がっちゃうし、なにより指が開いちゃうのでお湯がすくえない。これは大変だぞと。


 翌月曜日には転院が決定しておりました。3次救急というのは依頼は100%受け入れるというのが原則だそうで、1週間以内の転院は入院の日には家内が言われていたそうです。私の職場のドクターがすぐに知り合いの都立病院のドクターに話を通して頂いていたようで、すんなりと行き先が決まりました。