大事な3カ月

 毎日寒いです。寒くなると歩き方がASIMOっぽくなります。右腕はバリバリに強張ります。以前は季節の変わり目だとか天候によってあちこち痛くなるとか無縁に暮らしていましたが、麻痺というやつはその辺無視できないほど影響しますな。


 リハビリ病院に入院して2週目、週に3回の入浴(個浴)が許可されるようになりました。車椅子生活は変わりませんでしたが、浴槽をまたぐ事が出来るということで許可となりました。この許可はOTの方が出すのですが、どうせ見守りがあるなら女の人に見守りしてもらいたいと言ったらダメだと言われました。


 風呂は時間が決まっており私は10時40分から40分間で退院までこの時間でした。せっかくさっぱりしたのにまた運動するということに残念な気持ちでいっぱいでしたが仕方ありません。せめてギリギリの時間でのリハビリはやめてくれとお願いしました。40分の入浴時間は長い様でけっこうタイトです。なんせパンツはくのも苦労しますから。時間配分が大変でした。面倒だから部屋から腰タオルでも良いだろうか?と聞きましたがこれもダメだと言われました。


 脳卒中関係をご存知ない方もおられるかもしれませんが、脳梗塞を発症してから回復が最も顕著で期待できるのは最初の3カ月と言われております。更にそこから3カ月が回復の伸びが大きい時期と言われています。もちろん、その後も緩やかに回復するとみられるのですが。


 私もこの時期は毎日のように身体に変化が起こりました。椅子に座り、膝を持ち上げる事が出来なかったのに、突如として持ち上がったりしました。そうなると逆に困るのが前日まで歩き方練習でやっていた感覚が使えなくなるという事です。力の制御ができず、なんだかふわっふわした感じになったりしました。右手の親指と小指を付けたり、1,2,3,4,5と指を動かしたり(分離運動)が出来たりしました。この時期のリハビリはある意味楽しかったです。


 脳梗塞発症から3週目くらいは自分でも「この調子ならけっこういけるかも」と調子付いていた頃です。今日はこれが出来た、今日はあれが出来た。そんな出来るようになる感覚、小さな達成感を日々感じるのでした。


 しかし今考えると、この頃のリハビリなんてまだまだ序の口。突然「伸び」を感じなくなる日がやって来ます。いわゆる「プラトー」と呼ばれる部分です。プラトーというのは呼吸器なんかのモニターで波形が右上に立ち上がり、しばらく平らにキープして下に下がる「台形」みたいな波形の上底の平らな部分を指します。回復の曲線もこのプラトーがあり、私は大いに悩まされるのでした。

リハビリ病院の日常

 いよいよ回復期リハビリの開始です。この病院は年中無休でリハビリを行ってくれます。運動、作業、言語と暫くの間は1日に各3単位合計3時間のリハビリがあります。言語については高次脳機能障害の可能性がなければ終了となります。


 私を担当してくれたPTさんは、私が拾う(感じ取る)感覚から動きを取り戻すという手技をメインとしておりました。これは転院前に急性期のリハビリでやってもらっていた手技でしたので、私にとっては上手く繋がった感がありました。
 
 OTさんの方も、実にわかりやすい目標で介入してくれました。脳卒中で麻痺になると手の恰好が独特になる。要するに手が巻いてしまう格好というのでしょうか、萎縮した格好ですね。その見た目が気に入らないので、そうならないようにしていきます。とのことでした。


 STさんは色々と課題を出してくれるのですが、前施設からのサマリーで高次脳機能障害の可能性がほとんどないと書いてある私なので、どちらかと言うと雑談の時間だったような気がします。


 作業の時間、退院まで私を苦しめたのは右手右腕の強いしびれでした。この文章を打っている今もしびれが酷く何度もミスります。ミスったままupもしています。入院当初は気付かなかったしびれです。徐々に感覚が戻りっつある中しびれに気付きました。集中治療室に居た時、回診のドクターに腕を触られて「これはどんな感じですか?」と触られて触れる感覚は左右差を感じなかったのですが、右には何かフィルターが掛かっているというか、ワンクッションおいて感じる感覚がありました。どうもそれがしびれだったみたいです。


 今でもそうですが、タオルに触っても私にはザラザラのヤスリみたいに感じます。本当に邪魔くさい。このしびれを何かに利用できないものかと思うのですが、何の利用法もありません。手を肩に置くだけで凝りがほぐれるとか全然ありません。


 この時の私の右手、指はまだ分離運動が出来ていない状況です。自主練習に何か良いものはないだろうか。


 それからお手玉を投げてみました。手首のスナップがききません。バトンのような物で太鼓代わりにバランスボールを叩いてみましたが、リズムをうまく刻めませんでした。


 スナップは大事だなぁと考えた結果、上の娘にLINEを送り「トイザらスでヨーヨーを買ってきてくれ」と頼みました。ヨーヨーなんて何十年ぶりでしょう。効果がありそうなことは何でもやってみようと思いました。しかし我ながら「遊びながらできる」という甘っちょろい考えでリハビリをしようというのが生意気です。


 そしてまた退屈な夜がやってきます。この頃はベッドで寝る以外の1日のほとんどを車いすの上で過ごしていました。移乗するのもまだ不安定だったため車いすのままの方が良かったのです。手足右側が使えないので、基本は左足で床を蹴って進んでしました。食事も車いすとテーブルです。入院して2週間にもなりますと、「減塩」の指示が出ている制限食の薄味にもだいぶ慣れてきました。

回復期病院

年が明けました。正月を家で迎えられるというのはありがたい事です。脳梗塞を発症した時には想像できない遠い未来でした。因みに昨年の正月初詣の時に引いたおみくじは人生初の「凶」でした。その通り。


 同じ歳の義理の弟が入院している病院に見舞いに行きました。素人目から見ると普通に歩いており、まさに普通に見えます。脳梗塞の症状が軽かったというより、場所なんでしょうね。但し手は痺れが酷く、上手く動かせないのだそうです。それでも周りは軽くて良かったとか、運が良いとか言うのですが、本人にとっては大問題なのです。これはなった人でないとわからない。


 さて、私は8月3日に転院をしました。自宅から近いリハビリ病院です。最初に主治医となる院長先生からの説明、PT、OT、STからの説明がありました。その説明の際にリハビリの目的として「社会復帰を目指す」という文言がありました。私はその時初めて、自分は今、社会の外側にいるという事を突き付けられた気がしました。


 社会復帰、社会にいないとはどういう事だろう?と思うと、要するに仕事をしていない、収入を得ていない、即ち納税をしていないということなんだと。確かに私は経済活動をしておらず、社会からすると「非生産部門」の人間なのです。私は入院中にたびたびこの事実を感じるのでした。


 カンファレスの際に、家内が入院期間について尋ねました。「3カ月~5カ月」とざっくりと言われました。家内はそのスパンに驚いていましたが、私は前のように過ごせるような身体になるのなら何カ月かかってもしかたないと考えていました。


 その日はリハビリもなく、部屋の説明やら採血やら一通りの事を行いました。食事は広いデイルームで入院患者みんなで食べます。前の病院では「リハビリ病院だと、わびすけさんと同じくらいの年齢の方も結構いると思いますよ。」と言われていました。ぜんぜんいません。老人ばかりです。それでも私と同じテーブルにはKさんという若い方がいらっしゃいました。聞くとすでに3カ月も入院されているとか。私はトータルで2週間ちょっとだったので想像ができない長さです。


 食後に部屋のトイレに入る時に、車いすがあちこちひっかかってやりにくいと思いをしました。看護師に扉の前までは車いすに乗るが、中は車いすなしで入る許可が欲しいと頼みました。PTに許可をもらい車いすは勘弁してもらいました。まだ片足立ちでしたけど。


 夜9時に消灯です。私はここでも個室に入れたので消灯後も小さな読書灯だけつけて、自分のタイミングで寝起きをしました。それでもベッドに入ると9時半くらいまでの記憶しかなく、あっという間に眠ってしまいます。そして何故か1時か2時に目が覚めます。入院前に3時位に寝て6時に起きるみたいな生活だったので、その時間が前にずれただけなのですが。夜中から朝までは退屈です。タバコも吸えるでもなし、夜食を食べるでもなし、本当にやることがなくBSのよくわからない番組とかを眺めておりました。


 ようやく朝になりました。昨日はぱっちりメイクだった夜勤の看護師さんがスッピンにメガネという地味な感じで検温と血圧を測りにやって来ました。リハビリの始まりです。