最初の朝

 一晩中薄ら明るく、スタッフがワサワサと動いているSCUのベッドで2~3時間の浅い眠りから目覚めました。7月19日の朝です。手を動かしてみました。動きが鈍い。足の先、指の方は・・ほとんど動きません。ああ、これが麻痺なんだなぁとぼんやり考えていました。自然と涙が出ました。私がこの病気になって最も落ち込んだ日だと記憶しております。


 回診に医師の一団がやって来ました。右手の人差し指で自分の顎とDr.の指先を交互に触るよう言われやってみました。上手くできません。グー・パーを交互にやってと言われました。すごくノロい。でも辛うじて動かせるのです。その時言われた言葉がブログのタイトルで
「明日もう少し動かなくなるかもしれませんよ」でした。
私は何と返したのか返さなかったのかは覚えていません。でも、これ以上もっと悪くなるのかと思ったら、また涙が出てきました。


 私は趣味でキーボードやギターなどを演奏していました。娘にも教えたりして。教えたと言えば、水泳、ボディボード、自転車やインラインスケートも私が教えました。車も趣味で今どきマニュアル車に乗っていました。そのほとんどが出来ない可能性がある。これはショックです。


 でもその時出来る事は横になる事だけでした。横になっていないとダメらしく、寝返りはしても良いですよと言われました。寝返りもいまいち上手く出来ないのですが、一度何かが引っかかって寝返りが出来なかった事があります。感覚を失った右腕がベッドの柵の間に入ってしまい、それに気付かずグイグイ回ろうとしていたのです。


 確か昼頃だったか、水を飲んでも良いですよと言われました。傍らにドラマとかで見るあの透明な急須みたいなやつが置いてあります。そういえば飲み食いしていないなと思ったのですが、飲み食いはすでにどうでも良くなっておりました。私はヘビースモーカーでしたが、煙草を吸いたいとも思いませんでした。


 私の家内や私の両親、姉夫婦も見舞いに来てくれました。何を話したのか覚えていません。なんだかマニュアルに乗れないとか車を買い替えなきゃとか言われていた気がしますが、ハッキリ聞こえたのは私の母が「クルマなんて元気になったら買ってやる」という魔法の言葉でした。マジですか?


 そんな私の腕には点滴のルートが出来ており、枝分かれしたラインには4つのバッグが吊り下げられていました。明日はどうなっちゃうんだろうとぼんやりと考えていました。