マシンセッティング

 昨日私と同じ歳の義理の弟(家内の妹の旦那)が脳梗塞になったと連絡があり大変驚いているわけです。 


 さて、急性期でのリハビリは土日を除く平日に3時間(9単位)行います。


 7月25日の時点では、歩行などというハイレベルな事は出来ません。つたい歩きは何とか出来る感じでした。


 私の場合は「ケツに乗っかってる」と表現しPTにインプレッションを伝えましたが、腹を突き出し、背中をそらして歩く所謂「オラオラ歩き」が発症前の基本だったようで、ゆえに「ケツに乗る」という感じがしていたようです。
「その表現、わかりやすいですね。そして間違ってないと思いますよ。」
とPTが仰りました。
 リハ室のベッドに「楽な姿勢で腰かけて」と言われ座ったところ、非常に姿勢が悪いようでした。
「この際ですから座り方も治しましょう。」と言われました。
リハビリを経験した方はわかると思うのですが、「歩く」という動作は「座る」と言うことを起点としており、「座り」が悪いと「歩き」は良くならないのだとか。


 リハビリを進めていく中で、自分の感覚、自分が今感じている事をどう表現してセラピストに伝えるかというのが結構大事だったりすることが分かりました。


 かつて私は趣味でレース用の車を所有し、サーキットを走っておりました。サーキットではメカニックに「どこそこのコーナーでブレーキしながら入ると簡単にオーバーステアが出る」とか伝えクルマを調整してもらう「セッティング」というものを行います。リハビリはこのセッティングという行為に非常に似ています。というか私には似ていると感じていました。


 足の裏のどのあたりに体重がかかっているとかは、頭の中で圧力の分布図みたいなのが浮かんできていました。骨盤が脚のどの辺りを超えていくとか、そういうインプレッションをしていました。


 レースではメカニックがタイヤの減り具合などを見て、ドライバーの言っている事とやっている事の違いを見たりするそうです。最も優れていたと今も言われているのが伝説のF-1ドライバーアイルトン・セナだそうです。あの極限のスピードの中で読んできたメーターの回転数とコンピューターが記録した数値がほとんど一致しており正に正確無比だったとか。


 逆に名前は書きませんが、酷いドライバーは、メカニックに対しての車の評価が「グッド」と「シット」しか無かったと聞きます。


 リハビリが始まり、その共通点に気付いた私に目覚めた感覚は、「良いドライバーになろう」です。私は私という身体に乗り操るドライバーで、PTはそのメカニックであると認識していました。だから、「良い感じっすよ」とか「だるいです」じゃなくて、何がどうだから良いのか、だるいのか、というインフォメーションをPTに送り感覚を共有するのが大事ではないかと考えていましたし、今も間違いではなかったと思っています。


 そう考えると、リハビリはセラピストに「やってもらう物」では無いと気付きます。ハンドルを握っているのはあくまで自分自身です。サーキットをどう走っているかは自分ではライブで見られません。それを客観的、俯瞰的に見て評価し手直ししてくれるのがセラピストなのです。と勝手に解釈しました。 


 この2番目に入院していた病院のPTが、私の「乗り物に乗っているような感覚」を理解してくれたのと、感覚が優れていると言ってくれていたので、私は終始勘違いしながらリハビリが出来ていたのだと思っています。「褒めて伸びる子」と昔から言われてましたし。