手が痺れるのですよ

  さて、私の入院時の話です。9月に入ると手も足も共に腱反射が強いものの、動きは良くなりつつありました。それと同時にプラトー(停滞期・伸び悩み期)も多くなるのです。


 確かに、0から1、1から2なら倍倍な感じですが、分母が大きくなると1や2進んだくらいでは進歩を感じるのが困難だという事情もあります。この頃になるとそろそろ退院の時期も見え隠れし始めます。最大で11月一杯、それよりも前に退院という目標ができました。


 退院もさることながら、発症が7月18日ですのでかれこれ2か月近く経つ訳で、この頃のプラトーは本当にイライラしました。最初の説明で、発症から3カ月は急激な回復が期待できると聞いておりました。そして半年までだんだんと回復曲線が緩やかになっていくとも聞かされておりました。私にはこの最初の3カ月という大事な時期を一日も無駄にできないというプレッシャーがありました。別に誰にプレッシャーをかけられたのでもなく、自らそのように縛り付けたのです。


 毎日のリハビリが苦痛でした。苦痛というか無力感がありました。でも夜な夜な私の部屋にいつものメンバーが集まり、ああでもないこうでもない言いながら、皆同じような葛藤を抱えているんだとわかると少し落ち着きました。


 9月に入ってから私を悩ましたのは、今も強く残る手の痺れです。痺れは右手と顔の右半分にあり、特に手の方は痺れのせいで動きが制限されてしまい、外泊届の小さい用紙を埋めるのも苦労するという有様でした。


 再発の恐怖もあり、ほんの些細な事でも「もしや」と思うほどピリついていました。いつだったか外泊の時に激辛の麻婆豆腐を食べて、顔の痺れが強くなった時ですらビビッてしまいました。笑い話のようですがこんなもんです。実際は台風が近付いていたので気圧の影響らしいのですが。なにせそういった季節の変わり目であちこち痛いとかいう生活とは無縁でしたので、気候で体調が変わるなんていうのも初体験なわけです。


 それにしても痺れは本当に邪魔です。柔らかいタオルを触っても、私にはザラザラのヤスリみたいに感じます。この感覚を何かに利用できないものかと考えましたが、何の利用法もありません。このころから私はリリカの服用を始めました。私には全然効かないけど。

幸福論・不幸論

 私が脳梗塞になったのは単純に日頃の不摂生と言って過言ではない。身に起きた不幸と言うのとはちょっと違う気がしていました。この病気の発症リスクとしての原因がいまだに解明されていない超難病であるならまだしも、大抵は日頃の注意でリスクヘッジ出来るのです。で、そのツケが回ってきたと言うだけです。


 もちろん、中には日頃からきちんと節制をした生活をしていたにもかかわらずこの病気になてしまった方も大勢いることでしょう。しかしながら、割と多くの場合は私と同じようにヘビースモーカーだったり、不摂生の賜物みたいな感じだったりする。


 だからかもしれません。以前私には不幸せな感覚がないみたいな事を書いたと思いますが、私にその感覚が無いのは「自業自得」と思っているからかもしれません。脳梗塞になり長く入院をしたせいで不幸になったのは自分でなく家族だったり、所属する組織だったりするのです。不幸は言い過ぎかもしれませんが、不便をかけたのは間違いありません。


 何故こんな事を書くのかと言うと、たまにこの病気になった人から「私の不幸自慢」みたいな話をされて辟易するからです。


 ただ、幸不幸と言うやつは自己評価しかなく、それが当たっていると思うのです。お金もなく一人野宿しながらやっとありついた飯を食って「幸せだなぁ」と思うやつもいるし、ヒルズに住み、仕事も順調だが、フェラーリの中で悲しみの涙を流しているやつもいる訳です。


 さて、ある日こんなことがありました。私の病室で同じ入院患者のKさんTさんとテレビを見ていた時のことです。番組は秘境の絶景ポイントみたいなやつです。
Tさんが
「僕らもうこういう場所に行けないんですよねぇ」とぽつり。
「え?こんな所に行きたいですか?」と私
「いや、身体が動けば行こうと思えば行けるじゃないですか」とTさん。
「いやぁ、俺元気でもこんな所行くつもりないですね。行ってなかったし。ていうか、以前は行ってたんですか?」と私。
「いえいえ行ってないです。」
「じゃあそれは『出来ない・行けない』に入らないですよ。」
私が年長と言うこともあり、力づくで納得させた感はありましたが、我ながら核心だと思うのです。やってなかったことまで出来ないことの勘定に入れるなって話です。自ら不幸方向の志向にならないということです。


 この病気になって予定が狂ったり、出来ないことや行けなくなった事があるのは自分だけではなく、家族も同じだったりするという事を肝に銘じなくてはならないと思うのです。

麻雀リハビリ

 私の入院していたリハビリ病院では食事はフロアごとに集合で食べるシステムでしたが、私のいた2階で同じテーブルになったKさんと、毎日の会話の中でのこと。


 「作業療法の部屋に麻雀牌があるの知ってました?」
と私が切り出し、麻雀やりたいねという話になりました。
同じテーブルのOさんにも聞きましたが、出来ないとのことでさてどうしようとなり頓挫しかけました。
「1階に若い方いらっしゃいますよ。最近ちょこちょこ話すです。ちょっとリクルートしてみます。」と言う事で、翌日1階のTさんに声をかけました。
「ぜひやりましょう」と話しが進みましたが、問題は道具です。訓練用の麻雀牌を持ち出す訳にはいかず、何かないかと楽天で検索です。ありました。3/4サイズ麻雀セットなんと破格の¥1,000です。すぐにポチっと押して購入です。毎日仕事帰りに来てくれる家内に話して着いたら持って来てくれるように頼みました。


 数日後物が届きました。会場は私の部屋です。部屋にはテーブルとソファがあった為その上にタオルを敷いて簡易な雀卓にしました。


 メンバーはKさんとTさんと私。KさんTさん共に40代前半で私と同じ脳梗塞。Tさんは7年前にも発症しており出戻りです。Kさんと私は右の片麻痺で、Tさんは2度目なので両足がダメージ。ですが両手はすこぶる調子いい。同じような場所の梗塞ですが、症状は本当にバラバラなんですね。


 テレビを見ながらという事と手がイマイチなので牌を並べるのも時間かかります。Kさんと私はソファに座りますが、Tさんは車いすのままです。途中で「ちょっとタンマ」と言って腰を伸ばしたり、まぁ本当に障害者同士は面倒くさいです。


 男3人なのでロクな話しもしません。〇〇さん(病院スタッフ)は巨乳だとかあの子は胸が無いとか。何が食べたいとか、まぁまともな大人がする会話じゃないです。中学生レベルの会話です。


 でもその感覚のせいで、お互いに症状や病状についてあけすけに質問しあったり、興味本位なんだけどと言いつつそんな話が出来たのでリアルな情報交換でした。生活やお金や仕事、介護保険とか本当に良い情報交換の場でした。


 その後外泊の時に100円ショップで材料を集め麻痺した手で折り畳み式の麻雀マットを作成しました。渾身の作です。折り畳み式にしたのは病院に戻る時に持っていくのが恥ずかしいからです。利便性ではありません。人間の欲望というか、欲望を持った人間の衝動とは我ながら大したものだと思いました。手の状態が良くなくて、カッターも使うのに苦労している状態なのに作ってしまえるのですから。まぁ何でもリハビリです。

 Kさんが退院するまでの間、夕食後から消灯までの2時間、私の部屋は麻雀部屋となりました。